タイムマシーン
今日の事を死ぬまで忘れないように残しておこうと思います。
良い日よりだった今日、主人と2人で散歩に行きました。
息子も成人にして、8年経ち、
夫婦で過ごす時間も十分にとれるようになりました。
31年の間、いろんな事があったけれど、
私達はずっと一緒に乗り越えてきました。
そんな私達夫婦の話題はもっぱら息子の事ばかりです。
我が家の息子は実家住まいなので、毎日、彼と顔を合わす中で、
親である私達としては、やはりしっかりと自立して、
一人暮らしをしてほしいと思っていて、
夫婦でいる時は、いつも息子の将来の話題が中心となっていました。
お散歩中もやっぱりその話題が中心となっていました。
そして、お散歩の途中で、休憩がてらお茶をしようという事になり、
フードコートのある近くのショッピングモールに入った時に、
思いもかけない人と出会いました。
過去からの伝言
主人と2人で飲み物や食べ物を注文し、
食べ物とドリンクを置いたトレーをもって、
席に着くと、私達の隣の席に若い家族が座っていました。
その時は、隣の家族に気を留める事もなく、
私はお水を取りに行き、席に戻ろうと思った時に、
隣の席の男の子の顔を見て、思わず固まってしまったんです。
何故なら。。。。
小さかった頃の息子と酷似していたんです。
顔も、髪型も、背丈も、ごはんの食べ方も、お洋服も、
全てが息子にそっくりでした。
「パパ!ママ!」
そう言われたら、多分、私も主人も何の違和感もなく
「何?どうしたの?」
そう答えていたと思います。
席について、主人にその事を伝えると
「俺もそう思ってた。本当にそっくりよな。
ホンマに可愛いよな~。連れて帰りたいわ!」
そう答えました。
その家族が席を立つまで、私達はずっと男の子を見ていました。
「やっぱ、可愛かったんだね。よっちゃん。」
「ホンマにな、色白でポチャっとしてて、ホンマに可愛かった~。」
今まで、我が息子の事で、愚痴っていたはずなのに、
そんな険悪な話題は全くでなくなりました。
男の子がいる間、不思議と、息子の良いところがいっぱい思い出され、
そして、親としての未熟さも痛感させられる時間でした。
私達もはじめて親となり、初めての子育てをして行く中で、
必死でその時期を乗り越えて行きました。
でも、子どもが成長してくると、あまりに余裕が無さ過ぎて、理不尽な事で怒ったり、
無理矢理、親の価値観を押し付けてみたりしていたと思います。
今日、私達が出会った子どもは、年のころ3,4歳ぐらいで、
まだ親が付いていないといけないような年齢の子でした。
私達の息子もそんな時期がありました。
トイレトレーニングやお昼寝、好き嫌いしないようなメニュー作り、
急な発熱に、急な発疹等など、数え上げればキリがありません。
だけど。。。。。
あの頃の私達は、とても幸せでした。
父と母にとって、最高に幸せな時間でした。
教えなければいけない事たくさんあったけど、
教えた事をできるようになった時の喜びは
言葉にはできないほど最上級に嬉しい事でした。
あの頃の私達は、毎日、嬉しい事ばかりで、
本当に幸せだったな~っと心から思ったのです。
「パパとママの思うようにはいかないけど、
だけど、僕だって頑張っていろんな事、乗り越えて来たよ。
僕が努力している事、忘れないで。」
小さい頃の我が子に姿を変えた息子からの伝言みたいに思えました。
与えられている事を忘れない
私達は、子育てをしてきました。
子育ては体力勝負なので、疲労で見落としがちだけど、
私達親は、到底言葉にはできない大切なものを、
子育てという一つの営みを通して、
大人として成長するために、様々なものを与えられてきました。
先程も書いた、喜びはもちろんの事、
理解し合う為のコミュニケーションの仕方、
人との距離感や感情の制御、そして何よりも大切な事として、
「他人に対する慈しみの気持ち」
それを無償で与えてもらっているのではないだろうか。
そもそも、子どもが産まれるという事自体が無償の喜びでした。
人間は視覚や聴覚等の五感に弱いので、
すぐに子どもの成長にかかる金額や偏差値などの数字に敏感になって、
本当に大切な事を勘違いしてしまってはいないだろうか。
立派な大学に入って、一般企業に就職して、結婚して、出産して、
そして安定した生活を送れる事が幸せだと思ってはいないだろうか。
それも親の願いとしては一理あると思います。
でも、もっともっと大切な事は、子ども達が教えてくれた事、
「他人を慈しむ事ができる人間」に成長してくれる事だと
私には思えます。
他人を慈しむ人間、わかりやすく言えば、
優しくて、温厚で、そして包容力のある人は、
誰でも大好きなはず。
そして、今書いた事ができる人達こそ、
人の上に立つ経営者や、もしくはリーダーになる人の特質なのです。
別に出世しなかったとしても、
たくさんの友達ができる人間になってくれれば、
私達親は、安心して、私達の人生が送れます。
例え、資産なんか残してあげられなくても、
せめて、一日でも元気に生きている事で、
子どもの負担にもならずに済むのではないかと思うのです。
子どもだって、子どもだけど人格があって、
上手く言葉にならないだけで、きっと一生懸命頑張っている。
年齢が小さい時は、甘えもするだろうけれど、
だけど、子どもなりに親の幸せを願っているはず。
そう考えてみると、子どもの人生は、
子ども自身が導きださないと、
家族みんなが幸せにはなれないのではないでしょうか。
目の前にいる我が子はまだ小さいかも知れません。
私達親がついていてあげなければ、何もできないように見えるかもしれません。
でも、子どもと親は全く別の人格であり、
親が考える子どもの幸せと、
子どもが考える自分の幸せは全く違うのです。
同志となって
偶然出会った小さな我が子と過ごした時間は
(全然会話等はしていない💦)
とても短い時間だったけれど、すごく沢山の事を思い出させてくれました。
コロナ禍でみんながピリピリしている今の社会の中を
何とか生き抜けるように、
大人になった息子の同志となって、一緒に乗り越えて行きたいと思います。
という事で、私にできる事として、
息子が大好きなごはんを毎日、作ろうと思いました。